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久米邦武について

久米邦武は天保10年、佐賀に生まれ、藩校弘道館や昌平坂学問所で学んだ後、藩主鍋島直正の近習となりました。維新後には岩倉使節団の一員として欧米12ヵ国を視察し、報告書『米欧回覧実記』を編修します。
その後は、太政官修史館での編修事業や帝国大学での講義にあたりましたが、明治25年、論文「神道は祭天の古俗」が神道家などの反発を招き事件へと発展、教授職を去ります。以降は、同郷の旧友・大隈重信の東京専門学校(現・早稲田大学)で教職をとりつつ、学究生活に入りました。
昭和6年に93歳で亡くなるまで、一貫して実証主義の歴史学者としての立場を貫きながら、科学技術への関心や能楽の研究・復興にあたるなど、幅広い視野と深い探究心を兼ね備えた学者として知られています。
★久米邦武(1839〜1931)



年表

1839年
佐賀城下八幡小路に生まれる。
1854年
佐賀藩々校弘道館に入る。
1863年
昌平坂学問所(昌平黌)書生寮に入学。
1864年
昌平坂学問所を退学し、鍋島直正の近習となる。
1868年
範校弘道館の教諭となる。
1869年
府藩県制に伴い、佐賀県権大属となる。
1871年
上京。明治新政府の権少外史に任じられ、特命全権大使岩倉具視に随い、欧米諸国を視察する。
1878年
岩倉使節団の報告書『米欧回覧実記』全5冊(復刻版宗高書房、岩波文庫)を刊行する。
1879年
編集官を任じられ、修史局において明治21年まで編集に従事する。 1888 帝国大学文科大学教授となる。
1890年
『稿本国史眼』全7冊を刊行する。
1891年
「神道は祭天の古俗」を『史学会雑誌』に発表。
1892年
『史海』に転載された「神道は祭天の古俗」が神道家などから攻撃を受け、帝国大学教授を依願免官となる。
1899年
東京専門学校(現・早稲田大学)で講じつつ、以後も『古文書学講義』『日本古代史』『奈良朝史』など次々と著作を発表する。
1931年
2月24日没。

 


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