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美術館の由来
現在久米美術館のある目黒駅前の地と久米家との関わりは、明治10年代に久米邦武が『米欧回覧実記』編修の功により下賜された500円を基に一帯の土地を購入したことに始まります。富士の見晴らしが良いことを好んだという邦武は、ここを京橋の本邸とは別に「林間の山荘」として利用していましたが、明治30年代には目黒に本拠を移し、西洋野菜の試作なども行いました。また、大正に入ると桂一郎も同居するようになりました。
江戸〜明治期の目黒は、落語「目黒のさんま」からもわかるように、街の喧騒とは無縁の野趣あふれる土地柄であったようです。その様子は、富士山の眺めの素晴らしい景勝地として歌川広重の名所図絵などに数多く取り上げられています。
昭和43年、目黒通り拡張のため久米家は移転、旧久米家跡の一角に現在の久米ビルを建設し、昭和57年久米美術館が設けられました。現在の館長は邦武の曾孫・桂一郎の孫にあたります。
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